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どうみても前回のエントリーはキチガイなのだが、たまに極端な思考をしてみたりするときがある。そうすることで自分のポジションを確認する。べつにブログに描かずに自分の頭の中だけでやればいいのだけど、ブログは創作物であると思うので、ちょうどいいと思った。

ブログに書いてあることなど、信用できないものだ。本当のことが書いてある保証などどこにもない。書かれることは、理想的な自分の像かもしれないし、まったくの創造物かもしれない。このブログに関しては、現実と虚構の入り混じった、うわごとのようなエントリーを、これからもやっていきたいと思う。書きっぱなしは面白い。

物質文明華やかなりしこの世界に暮らすみんな、ご機嫌いかがでしょう。音楽について日ごろ考えることを書こう。

例えばカラオケで歌えたほうが楽しみは増える。でも、音楽の持つ性質は歌だけではない。無論、声は重要な要素だが、それは音楽の一つの側面にしかすぎない。歌だけを求めていたら、様々な可能性を持つ音楽はなくなってしまうし、表現者たる音楽家もいなくなってしまうだろう。残念ながら量産型の音楽は誰にでも作れる領域だ。それを教えない世の中は、どんなに不幸だろう。

私はできるだけ、音楽を聴くことに集中したいと思っている。それは作者へのリスペクトであり、自らにおいて音楽の存在を高め、維持するためだ。音楽に何かを求め、期待し、満たされたくて聴くのだろう。どんなジャンルの音楽であろうと、秘められた何かがあるのだろう。私はそれを「ありがたみ」と表現する。

そのうえで音楽への参加があるのだと思う。音楽のもつありがたみが分からずに参加したところで、まさに量産型音楽を垂れ流すだけだ。カラオケで歌えたとして、得手不得手はあれど誰にもできること(まさに量産型)だし、それは個人の能力であって、音楽そのものとは関係ない。つまりカラオケというのは、その音楽が個人にとって消費できる対象であるかどうかという指標のひとつにすぎない。

作り手がアイデアを具現化し、受け手がそれに追随できるメディアとしては、音楽よりも例えばマンガのほうが健全ではないかと思う。かつて平沢進氏は「音楽は負けました」と言った。残念ながら私もそう思う。世の中に音楽は溢れ、捨てるほどあるというのに、溢れれば溢れるほど手に入らなくなっていく仕組みがある。寒い時代だと思わないかい。

注:読み物としてまとめるために極端な文章になっております。他の意見を否定するものではありません。カラオケは遊びとしてとっても好きです。

細々と続いていたかと思っていたムネオハウス。本人公認になっていたのはウォッチしている人にしか興味のないところだが、公式サイトにイベントの告知がでている。

100%ムネオナイト

音楽というジャンルにおいてテクノはとりわけ手法、手段である傾向が強いと思う。テクノの音楽的な魅力そのものを純粋に楽しむことはもとより、テクノ的手法を使ってどんな目的を実現するかということもまた重要なことであり、興味深い。テクノは機能重視なのである(踊るとか)。それをして、かつて石野卓球氏が登場する文献で「テクノ産業」と表現していたような記憶がある。今となってはゲーム、映画、CM等でのテクノ的音楽はすっかり定着し、かかせないものとなっている。

何かを「ネタ」にしたいとき、テクノは格好のツールとなる。世に数ある創作物の中でもテクノという音楽はとても融通が利くジャンルだと思う。聞くだけですぐ分かるという気軽さも秀逸だ。そして貧弱なツールでも作れるので参加することも容易になる。私に言わせれば、テクノは作ってなんぼである。作り手と聞き手の区別が限りなく曖昧であり、それらはリスペクトで繋がれている。(リスペクトじゃ商売にはならんけど、利用できるとなれば「やってほしい」という企業が金を出してくる。こうした BtoB(企業間取引)的な流れが、テクノ産業というような構図だろう。インディーズや同人活動というものもあるだろうが、それは産業とはちと異なると思うし、細かく分かれそうな話なので割愛)

そういったもののひとつがこのムネオハウスであったわけだ。趣味の良し悪しは別として、ムーブメントとなったことは事実だろう。

PSOBB EP4 の騒動のとき、このようなサイトがあった。
ttp://claimpso.exblog.jp/
顛末は読めば分かるとして、要は JARO に訴えるという手段をとったわけだ。「PSOBB EP4 が有償化したのは広告に偽りありではないか」という理屈だ。結果として SEGA には指導が入り、ウェブサイトリニューアル直前の何時間かだけ謝罪文が掲載されるという事態になった。そういう経過をウォッチするにつけ、私は SEGA という会社があまり好きではなくなった。

このエントリーでは何を書きたいかというと、問題が解決しない場合、第三者の強権により解決を図るという手段について、どう考えるかということだ。個人的に理想だと思うのは、運営サイドにメール等で意見を伝え、当事者間で解決の道を探るという方向だ。オンラインゲームというのは歴史が浅く、性質上も商品やサービスとしてのコントロールが難しいものだと思う。

たかが娯楽なんだけど、ユーザとしてはそうも言っていられない。思い入れというものがある。例えばアフロボンバーというコミュニティにしてみれば、PSOシリーズの存亡は死活問題だった。PSOを通じ仲間が集い、人の輪が広がっていく。PSOは大切なインフラだったわけだ。人が集まるシステムなのだからどのオンラインゲームもそうなる可能性がある。アフロは単なるユーザレベルの集まりでしかないけれど、多くのユーザに対してアフロボンバーを演出し、PSOの雰囲気作りを担ってきた側面もないとは言えないと今になって思う。まあ別に頼まれたわけではないが、「ギャラはなし なんにもなし」の精神はここで培われることになった。

そういったものは運営会社の意図を超えたところで発生したイレギュラーにすぎないかもしれないが、運営の都合によりユーザからの信頼が裏切られるような事態になれば、当然怒りがこみ上げてくるだろう。期待していた EP4 に、さあこれからというとき「やってくれたな・・」と失望したコミュニティは多いのではないだろうか。閉鎖するファンサイトも多かった。これは私がコミュニティを運営する立場にあったから感じたことかもしれない。

別の側面として、現状こうしたサービスに関しての法律は整っていないだろうし、問題が頻発してしまい外部の機関にチクるような輩が増えてくると、おかしな法整備をされたり、半端な前例が作られたりしないかということだ。そうなれば、ある意味では楽園のようなこの時代は終わりを告げる。無料という果実がもたらす運営会社とユーザの関係は、とても微妙なものだといえる。

オンラインゲームはただでさえサービスが独特で複雑だ。正式サービスがどうなるかわからないままの人集め目的の無料オープンβ、基本プレイが無料の正式サービス等々、あんまりまともに思えないものも多い。まるで戦争のように状況が刻々と変わる。無料なのはいい加減なことの裏返しでもあろう。

アイテム課金方式なども、実に脆弱な基本無料サービスに依っている。トラブって有料アイテムが消えた場合などの保障など、疑問点が多い。そういう意味では法は要るかもしれない(プリペイド方式なら、アイテム用ポイントをチャージした時点で権利なくなる?みたいな)。これは BBGames のBBコイン方式でも取沙汰されたことなので記憶に新しい。

とりあえず PSOBB EP4 の例ではユーザの気持ちをもっと大切にしてほしいという点を、後半では法的な側面(詳しくないけどなー)を書いてみた。運営会社は客商売なんだからもっとユーザに対してフレンドリーになるべきだし、ユーザももっと大人にならなければならない。いつまでもこの分野は過渡期のまま衰退していくのだろうか。