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もう10日前くらいになるだろうか。うちの物置(旧家屋だったのでけっこうでかい)の屋根と天井の隙間に子猫がいることがわかった。最初は3匹にみえたけど、現在までに4匹確認している。親猫はといえばまるでボロ雑巾のようで酷い状態に見えた。

根っからの野良のようで警戒心がとても強い。昨年ネコ白血病で死んだ猫に似ていることもあって(同じ血筋かもしれない)とりあえず餌をやってみることにした。

小柄でやせ細った猫は、力のない威嚇をしてくる。しかし4匹の子猫の親であるからには背に腹はかえられないのだろう。与えた餌をキレイに食べてしまった。ドライフードを試してみたところ問題なく食べるので、与えるほうとしてもラクな猫だ。毎日餌を与え続けた。

日に日に距離は縮まり、今日になってようやく、私の足に擦り寄ってきた。こちらから触ろうとすると引っかかれるので、猫にまかせている。やはり野良猫としては複雑なようで、餌をねだりつつも「シャーッ」という威嚇が混じる。それでも大きな進歩だ。野良猫とはいえ野生動物みたいなものだしね。

ある程度落ちついてきたら、不妊手術を施して、ずっとうちに居候させてやりたいと思っている。子猫も同様に。かわいそうなようだけど、むしろ田舎には野良猫が住めるような環境がない。かわいそうな猫が増えるだけになってしまうだろう。私は過激な自然保護論者ではないけれど、人間と他の動物が共生できる世の中であってほしいと思っている。

興味深い記事を見つけたのでたまにはエントリー。

「補償金もDRMも必要ない」――音楽家 平沢進氏の提言
http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0606/12/news005.html

記事は、音楽家と著作権の管理についての話題であり、一見して我々のような客、リスナーについては関係のないものに見える。しかし、ネットラジオで楽曲を流すといった場合は、楽曲を利用する立場になり、記事中に出てくる「支分権」や「著作隣接権」の影響を受けることになる。

詳細は省くとして、複雑な権利関係があるため、楽曲の利用許可を個人的に得ることはとても困難な作業だろう。極端な話、1曲の楽曲を利用するためには、その権利を分け持つ各窓口全てにお伺いをたてなければならない。個人の趣味で放送するネットラジオには事実上不可能といえる。利用したくでも利用することのできない状況はとても理不尽であり、楽曲利用者側からしても、なんのための管理団体なのか分からない。

また極端な例だが、記事の平沢氏のように楽曲に関する全ての権利を自ら管理する状態であれば、本人に許可を得るなり契約を交わすなりすることで、晴れて何の問題もなく利用することができるようになる。ただしこうしたケースは稀有だろう。

音楽は聞かれないと始まらないと思う。まさに「補償金もDRMも必要ない」と思う。ネットラジオのDJが選曲したものがヒットすることだってあるかもしれない。リスナーとしては聞いてみていいと感じたものに金を払いたいだろうし、そのためにはより多くの楽曲に触れる機会が必要だ。

・・・といったキレイゴトを、このような話題の際には毎回並べてる気がするのだけど、いわゆるメジャーシーンというのはビジネスだから、金儲けしやすい仕組みになってるわけよね。そういう前提では別になんでもない。何が嫌かって、それ以外の選択肢がないというか、レールから外れるとネットラジオすらまともにできないことだ。ネットが普及した今ですら、音楽家とリスナー(利用者)はまるで不在で企業間取引の仕組みしかない。時代に逆行したレガシーな音楽産業は、衰退していくのではないかと思う。