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・日曜日の婆さんの葬儀は終了。
・月曜日はいろいろと雑務。
・父も母も悔いは残らないだろう。
・明日から通常業務のつもりでござる。

・婆さん、87歳ともなれば大往生だと思う。
・晩年は認知症の印象ばかり残ってしまったけれど。
・最後の日は、長時間にわたってサチュレーションが0~30%だった。
・当然意識はないが、よほど心臓が丈夫だったのだろう。
・ボケてなかったらもっと長生きしたかもなあ。

・皆さんもボケてはいかんですよ。
・ボケる要因はいろいろあるようですが、可能なかぎり気を付けるべき。
・自分の身を守れなくなり、他人に守ってもらうほかありません。
・それには限界がありますから。

・認識や判斷がどんどんなくなっていく。
・たとえば脳の血流量により調子良かったり悪かったりするモザイクな日々。
・細かい上下を繰り返しながら、しかし確実に無に近づいていきます。
・そして生命の維持に関わる反応も衰え、機能しなくなったときが最後です。

・でもそれを昔の人は「悟り」に重ねあわせたのかもしれないと夢想。
・無になった人は、生きつつも色即是空を体現しているわけで。
・なんの執着も煩悩もない、無。
・悟りの境地に達して亡くなっていく。

・そら確かにうちは無宗教ということになってるんですが。
・宗教というのは人類の叡智のひとつだとは思っています。
・人の心に安らぎをもたらすもののひとつ。
・ただまあ世の中というのは宗教家もお金を得ていかないと暮らせません。
・宗教もビジネスからは逃れられません。
・むしろ金を儲けたり、政治に関わりたがる宗教もある。
・てゆうか歴史ってそんなかんじだしね。
・宗教の勃興と時の権力者の勃興が、軌を一にしていたり。
・しょうがないことだとは思うけど、爺さんと父親はそれが気に入らない。
・…のだとオレは想像するし、オレもわりとそう思う。
・だからうちは「無宗教」なんです。

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