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失礼ながらGoogleで「ハゲ 御大」でヒットする人物といえば、富野由悠季氏だ。巡回(もう死語のような気もする)してたら4Gamerにいらっしゃいました。台湾にお呼ばれしても相変わらずのご様子で。

4Gamer.net – 「だから,日本の深夜アニメはつまらない」ガンダムの父・富野由悠季氏の講演をムービー込みで掲載

なんで4Gamerなのかと思ったら、Taipei Game Show 2008でのイベントの一部とのこと。通訳が必要な場所でどんな難解な講釈をたれるのかと、導入からワクワクしちゃったよ!

といっても私はあんましテレビそのものを見なくなってしまっているし、アニメの現状というのも正直よく知らないんで、氏の言葉をまとめてみれば、深夜帯のアニメは「自慰的で伝わってくるものがない」ということか。だから深夜でやってるんじゃないかと思うが、あんたに言われたくないという人も多いのではないかw

宗教に由来する話とかツールの話は分からないでもないかな。私なりに書いてみるけど、デジタル(ツールやネット)がもたらすインスタントな感覚はやっぱインスタントな制作に繋がりがちだ。たしかに手法的にそれらを使えばかっこいいものができてしまったりする。しかし将来文化や文明が代替わりしたときに、どう解釈されるかとか伝わるかなんてことは、はたしてどれだけ考えているだろうか。いや、将来に伝えたいことがあるか、といったほうがいいか。デジタルに惑わされるべきではないと御大は言う。

まあ私も趣味で音楽作ったりするけど、デジタルの恩恵は受けまくりだし、私の場合はたいして演奏技術がないから選択肢がないというのもある。でも、本当に表現したいことがあって、そのためにはこの楽器を弾けるようにならねばならない!とか、こんな歌が必要だ!のようなことにはならないので、表現者というレベルに達することはないのだろう。凡人には伝えたいことなどそもそもないので、100万人に伝えることができる表現なんて想像もできない。

デジタルがもたらした手法を使えるスキルがあり、その中で(比較的)ユニークな「組み立て方」をすることも可能ということにすぎない。スタイルを再現してるだけなんだよね。未来を作るのではなく、過去を再構成する。それは決して難しいことではない。だから「趣味」ということにしておかないと、からっぽな自分に納得できないと思う。「趣味」と認識できるから踏みとどまる。でなければ止めるか狂うかのどちらかだろう。デジタルによって無意味に自我を拡張していった先には、自分が本当に自分なのかどうか分からなくなってしまうというアレです。

脱線しすぎた。趣味なんてのはまあ手段が目的になってるもんだしね。とはいえ二次創作を否定したら現代のカルチャーは成り立たないわけで、御大はそれらを否定するということではないのだろう。表現とはなんぞや、を考えると難しい。そういう意味で表現に加えて娯楽を作ってる人の頭の構造ってどんだけだよ、といつも思う。

表現者としての御大の言葉には、そうかもねえと納得する部分もあった。ただ、いつものように商売的にはそれを言っちゃオシマイじゃん、という身も蓋もないことも言っていて、じゅうぶん堪能させていただきました。おわり。

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