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「初音ミク作品」騒動、ドワンゴとクリプトンが“和解”コメント
上の記事のように既に着地しているけど、驚くほど素直な結末となったと思う。実に納得できるし、現状をブレイクするきっかけになるかもしれない内容も含んでいる。その後もITmediaの関連記事は続き・・・

「初音ミク作品」騒動から考える、「次の著作権のかたち」

“守る”と“創る”は対立するのか――07年のネット界

これらの記事での著作権管理についての提起には、私も前のエントリーで触れているので、とても共感できるものだった。大きくなりすぎたアングラに対して世の中はもう対応せざるをえないところにきている。いや、むしろアングラはアングラで勝手に仕組み作ってやっちゃうよ?という宣言なのかもしれない。

自分がなぜこの手のテーマについて考えてしまうのか、それはよく分からない。直感みたいなもんだし、最初にまず悪いことから想像してしまう防衛本能によるものかもしれない(それが行き過ぎて鬱気味になるのが私のよくないところだw)。趣味とはいえ、音楽を聞いたり作ったりするのが好きなわけで、音楽という文化への帰属意識がある・・・とは思うからね。だから、わりと単純に、もっと良くなってほしいんだぜ?と願っているし、私の有する数少ない社会性のひとつとして機能しているような気もする。

これらの記事について共感したことで、私は救われたというか、ほっとしたというか、思った以上に未来に期待してもいいのではないかと思えてきた。ほら単純だ。ネットの普及で多くの人間が物事をウォッチするようになって、おかしいことには文句を言うようになって(ノイズも多いのだけど)、もはやそう間違った方向には行くことはないのかもしれないね。少なくとも今までよりは。

共感ということで、最も心に残ったのは、初音ミクの開発会社であるクリプトン社の社長ブログだった。「胸のすくような」という慣用句はこういうものに出会ったときに使うのだろう。それについては竹熊健太郎氏のブログが詳しいので、そっちをリンク。ちなみに平沢進氏のインタビューについても触れられている。それも以前このブログでもとりあげている。

クリプトン伊藤社長の「態度」

関連して、こちらは日経の記事。これも正論だ。
レディオヘッドを聴けばわかる音楽業界・ダウンロード違法化論の不誠実

そんなわけで、メディアの論調とシンクロしてちょっと嬉しかった。いい地合いになりつつあるので来年は楽しい年になるんじゃないかと思っている。

例によってまとめサイトを。
ドワンゴによる初音ミクオリジナル曲登録問題まとめwiki(*)

このブログ的には取り上げないわけにはいくまいというか、すいませんまだあまり把握していないんですが、音楽を扱うための権利関係というのはなんでこんなにややこしいのだろうね。

んで、法的な意味での権利云々はぐぐれば分かるし、誰が悪いとかは分かんないので、ささっと言いたいことだけ。どうせそのうち着地するんでしょうし。

ミク職人の人たちは騒動に巻き込まれちゃって災難だと思う。権利の所在をはっきりさせるというのは、本来は彼らの活動を守るためという理想のもとにあるわけよね。このような騒動がモチベーションの低下を招くとしたら悲しいことだ。ミソがついたニコ動はクリエイターに見切りをつけられてしまうのだろうか。

以下、日ごろの妄想など。

(例えば)DTMのように一気にマスターまで作れるということは、分業で楽曲を作りあげるという伝統的な手法によるものとは状況が明らかに異なるだろう。アーティストが実は楽曲全体の著作の一部しか権利を持たず(分業なので)、配信方法やら二次著作に口出しできない、コントロールできない状況ならともかく、DTMを使って少人数でほぼ全ての作業をしたような楽曲なら、当然のごとく、意向を反映させるというかコントロールしたくなると思う。

そういう想いへの対応は曖昧というかグレーというか野暮というか慣例というか、ネガティブな状態にみえるんで、面倒なんで突き詰めたくないのかもしれない。楽曲を登録するときに配信や二次著作などのライセンスに段階を設定しておいて近いものを選ぶ、みたいなことになれば聞き手としても心構え(?)ができていいのに。つうか、新しくて説得力のある仕事をしないで杓子定規なことばかりやってるからJASRACはカスラックなどと揶揄されるのだと思うのだが。ライセンスがシンプルで作り手にも聞き手にも利用しやすいものになれば値段も洋楽レベルになったり、新旧の楽曲が流通しやすくなったり、活気が出て双方ハッピーになるはずだ。

音楽だってビジネスとの相乗効果でこうして存在感を得ているわけで、商売っ気や価値あるものに値段をつけることを私は否定しない。個人には不可能なプロジェクトが大きな予算によって可能になることもあるだろう。資本主義とはそういうものだろうし。

守るのは楽曲の権利なのか、楽曲で儲けるための利権構造なのか知らんけど、そもそもなんのために楽曲を管理するのかという、根本的な立ち位置の不一致が混乱を招くのではないか。「(JASRACに)登録されたら終了」のような雰囲気はどうかしている。こうした騒動は、いつもそこに起因するのではなかろうか。

ITpro 「著作権管理、性善説には限界」――JASRACの菅原常務理事

以下極論。

そんなに客をドロボー扱いしたけりゃ、もう音楽でもなんでも売り出さなきゃいいしテレビで放送しなけりゃいいじゃんね。ガッチリ守ってたら絶対に盗られないぜ。それでも盗ろうってのは本当のドロボーだと思うから、そいつを捕まえれば平和になる。誰もこなかったら要らない子ってことだ。だいたい売ってくれと頼んだおぼえもないものばっかだし。んでDRMが強力になればなるほど利便性が著しく低下して、金出して買う人もバカバカしくなるんだから、もう何がしたいか分からんね。

・・・というような簡単な話じゃないだろうが、性悪説とかそういう問題じゃないだろうよ。つうかやっぱドロボー扱いしてたんかよ。捕まえるのは警察の仕事だろう。

こちらの記事では業界内で殴りあいの様相に。

ITmedia 「JEITAの対応、憤り禁じ得ない」と権利者団体 私的録音録画補償金問題で

とはいうもののですね、テレビに関しては先日ノートPCで使ってたUSB用TVチューナがぶっこわれて以来ほぼ見てないので、なくてもいいような気がしてきた(単体テレビはあるけど、ノートPCから顔をそっちに向けるのが大変)。ダビングとか知らねえよってかんじですよほんと。ワンセグもろくに受信できない田舎ものは早寝早起きして早朝にブログでも書いたり、ニコ動見て感動してればいいような気がしてきました。

CNET second lifeの7つの不人気に対する反論

という何か月も前の記事があちこちで非難轟々に取り上げられていた。でっかい釣り針なのかなという印象を受けたんだけど、とりあえず釣られてみるw。これって、わざと針に糸を通すような反論(むしろ裏付け)をして、「ほーら住人のスタンスで反論をしてみたけどこんなに強引になっちゃうんだぜ」というむしろ(参加企業等が持つ認識へ向けた)皮肉を、言外に感じ取れるような気がしないでもない。まあ皮肉にせよ擁護にせよ、もうちっと分かりやすいほうがいいよねという話か。それも含めて釣り?。ようわかりませんが、私は和みました。

で、SL自体は私はやったことないので想像になってしまう。既存のMMORPGなどと決定的に異なる点は、ヴァーチャルリアリティ方面にウェイトを置いてる点じゃないかと。ウェブを見ると、lsl wiki などというサイトがあって、SL内のオブジェクトをコントロールするためのスクリプトなんぞを解説している(処理が重いつう理由はこのへんか)。SL内にモノを作れたりすることには個人的に興味を感じる。意味のないバカコンテンツを作るのか、商売に繋げるのか、それは自由だろう。SLはシステムだからRPGみたいに目的はなく、コンテンツは集まる人と彼らが開発したモノか。Youtubeやニコ動なんかと同じ雰囲気なのかもしれないが、なにせプログラミングとなると敷居は高いよね。

やり方によっては壮大なコミュニケーションツールとして面白そうな気がするんだけどね。映画のMATRIXのように、武器が要る!となれば消失点のほうから銃器の棚が何列もガーっと出てきたり、敵とやりあってる時に格闘技の動きをダイナミックにローディングするアレだ。よーし土地借りて戦場を構築して・・と誰かが作ればいいのかもしれないけど、大変そうだし仕事でもなきゃやりたくないかんじ。じゃあ金をとろう!天才現る!という流れで突撃してみたら、娯楽と同じ土俵で評価されて、なにこのクソゲー縁日の射的屋かよで撃沈か。というわけでそんなヴァーチャル縁日はオレ的に否定されました。いや、もっとアダルトでインテリジェントな方向で考えるべきだったか。無理か。あはは。

SLのようなシステムがあることは面白いことなので将来に期待したいと思う。MATRIXみたいになるかもしれないし。でも、これが商売につながるかどうかという評価はもっと慎重に行うべきではないかと。つうかマーケティングとか難しいことは私には分からないんですが、どうしてこれが儲かると思えたのか、ぜひ聞いてみたい。