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自信を持てという人たちもいます。

ITmedia – ひろゆき&夏野コンビが語る「日本のITよ、自信を持て」

読んでみますと、終始、身も蓋もないかんじです。6ページもあるわりには具体的な内容はたいして語られてないんですが、私のようなしがないIT凡人というかバカにはこのくらいがちょうどいいですw へー、日本人に向いてるならちょっとは頑張れるかも?みたいな。なんだかやる気が出たよ、という読み物のほうがいいですよ、ほんと。

夏野 特にITに関しては自動車以上に日本は向いているし、潜在競争力もあると思うので、ここにいらっしゃるみなさんは、ネットの未来をこんなアホ2人に聞くんじゃなくて……

ひろゆき こんなの聞いたって、未来は明るくならないわけですから。

勝負すべきところで折れてしまいました。この期に及んで総括できないというか、自民党の要らない方が残るんだったら、もう存在価値はないのかもしれません。地方はそっぽ向いちゃうと思います。

読売新聞 – 首相、当初は「西川交代」…竹中・小泉コンビが封じ込め

麻生首相は当初、日本郵政の西川善文社長を交代させる意向だった。…

こうしてネットの巡回なんぞを10年もやっていますと、いつのまにか訪れなくなってしまったサイトもあるんじゃないでしょうか。それを別のサイトをきっかけに思い出しました、という話なんですが…

中村正三郎氏を悪く言うものではない – 切込隊長BLOG(ブログ) Lead‐off man’s Blogを読んでいまして、はて、中村正三郎氏のお名前は聞き覚えがある…なんだっけ、とぐぐってみましたら、ここでした!

中村正三郎のホットコーナー
今はブログもあって、↓こちらです。
ホットコーナーの舞台裏

当時、私はバリバリのMacユーザーだったわけで、氏のMicrosoft批判が面白くて見に行っていたものです。今思うとしょうもない動機だわw。でもそれだけではなく、JavaやCORBA(分散オブジェクト)などの当時としては新鮮なキーワードに興味を持ったりしましたし、PCの世界を語るテキストの文化(パソコン通信が発祥かもしれませんが、私はそっちはよく知らない)があるということを知り、今の自分の人生に少しは反映されているかもしれません。他に私が影響を受けた主なメディアはOh!XとWIRED日本版です。そのわりに自分のスキル低いですがw

で、切込隊長さんが取り上げた中村氏のエントリーですが
梅田望夫や勝間和代はなぜだめか、「クラウドコンピューティングの幻想」の続き
ということでして、このところネット界隈で話題になっていた、はてなの梅田氏の記事などについての触れています。中村氏エントリーと同じURLの引用になりますが、Slashdotの日本のWebは残念?を経由しましてITMediaの日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞くをめぐるものでありまして、私も先日ざっと目を通していました。それについて何かエントリーを書こうかなと思っていましたが、その要旨としては、いわゆるインテリの人の導き出す答えはかなり近道っぽくてすごそうなんだけど、オレはバカで物を知らないから回り道ばっかだし、でもとにかくオチはウンコにもっていって、ほら、Webはオレがウンコとか書いてるから確かに残念ですよ、というもので、今は書かなくてよかったと思っていますww

中村氏の文章は相変わらずといいますか、さすがといいますか、痛快な批評となっていて、なんだか昔を思い出しました。あー、やっぱこっちだわ、みたいな。その勝間さんという人も、べつに嫌いってわけじゃないけど、違和感をもつわけでして、ああいうのを見ると、経済っつうのはインテリがこぞってハマる魅力をもつ何かなのだろうか、と思えてしまったりします。そんでもお金稼いでいかないといけませんので、どうしたって経済に片足をつっこみつつ生きていくんですが、まあそれなりです。とくにそこに答えは求めません。心根はニートですが、敵に回したところでいいこともないです。そら宗教だってラブホで儲けます。

いや、やる気はありますよ、ちゃんと! どうもそう思われてないこともあるので、ねんのため。絶望している者に未来を語る資格などないので、私は絶望はしないことにしています。だから、名のある人におかれましては、残念などと言ってほしくはないかなあ。

そんなわけで、また中村氏のテキストを毎日拝見させていただこうと思いましたとさ。あーまた朝になる。

忙しさを口実に親孝行というか年寄孝行?してなかったので、爺さん婆さんのところへ顔を出して回ってきました。

まずは数ヶ月前に特養に入所したうちの婆さんを訪問。さすが認知症だけあって、オレ(孫にあたる)を父(息子にあたる)と間違う有様です。話してるうちになんとなく分かってくれたような、そうでないような。「挽きたてホットカフェオレ」という商品をコンビニで買って差し入れたところ、婆さんは「やきたてほっと」と認識したようで、ペットボトルを見つめては「やきたてほっと」と繰り返し呟いていました。会いに行くと最初はニコニコしてるんですが、後半は基本的に飽きてきますから、それを潮時に帰ります。そこには様々な老人が入所しています。仕事を手伝うことができる老人のグループが、洗い上がったタオルをせっせと畳む佇まいが印象的でした。

その足で、やはり少し前に退院した母方の爺さんに会いに、県北の母の実家へ向かいます。去年の暮れに心筋梗塞で入院したときは、80歳オーバーという高齢もあり、正直ヤバイかと思いました。しかし治療とリハビリ等を経て、半年かけて日常生活に復帰しました。すごい体力に脱帽。爺さんご自慢の、戦前から綴られる思い出の写真アルバムの新しいページには、入院中の爺さんの写真(母が撮影)が数枚加わっていました。そちらの婆さんも軽めの認知症で、「次はこっちを食べる」と言っては毎回同じ種類のパンを食べ、さらっと食べ尽くしていたのが印象的でした。仏壇の従兄弟の位牌にお線香をあげました。生きていれば今頃は25か26歳だったはずです。

帰宅してすこし休憩の後、着替えてまた出かけました。先日、友人のお父上が病気で亡くなられまして、そのお通夜へ。斎場への道のりはカーナビ頼り。何度か顔を合わせたことのあるお方でして、享年62歳と、うちの爺さん婆さんたちよりはずっとお若く、複雑な気持ちにもなります。ご冥福をお祈りいたします。