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常に外耳炎気味の私は、ちょっとかゆくなると軟膏を塗ったりする。そこで綿棒を使うのだが、恐ろしいことに、綿棒の綿の部分が外耳腔内にて脱落する事態が発生。耳から取り出した綿棒はまさに棒。チュッパチャプスをなめおえた状態と同じものがそこに。

どうしようかしばらく考えた。プールで耳に水が入った際に、耳を下に向けつつトントンとジャンプするアレをやってみたが出てくるわけもない。でもこのままだとタンポン(いや、使ったことないから想像なんだが)的に耳だれが出たときに吸収していいかもと思ったが、どうせそこで固まってしまうのでそれはとてもマズイ。つまり放置すれば同じことなどで、一刻の猶予もない。

この場合、固まったら耳は塞がり不都合があるだろうし病院にいかないと取り出せなくなる。症状と治療の両面でかなり痛いことにもなってしまう。しかも時期はお盆と最悪だ。

実はこのとき朝5時だったので自分でどうにかできないか試行錯誤していたのだが、自己解決は断念し、母親を起こしに行った。ライトとピンセットを持って。寝ぼけた人にお願いするにはとても恐ろしい作業であったが、まるで蜂の巣から蜂の子を取り出すかのように(私は幼いころやったことがある)、綿はすっと出てきた。

そんなわけで安物の綿棒はダメだ! いいやつを買おう!

おおむねマスコミの予想通りで面白みはなかった。ただ、与党への批判というのは理解できても民主に傾きすぎているような気がした。そう考えると、一連の年金パフォーマンスは参院選という一点に向けて着実に行われてきたのだろう。小泉前総理が郵政を争点に自ら解散選挙に打って出て勝利したように、望むタイミングで解散することができない民主は来るべき参院選にタイマーを設定し、敵を作りだす演出に成功したといえる。逆に自民は無策すぎた。党首の力、恐るべし。

こうして国家を舞台に壮大なケンカを繰り広げている自民と民主だが、現実に即して政を行うならばどっちも同じ穴のナントカつうか、あんまし内容的に違うとも思えない。マニフェストなどという絵空事や対決姿勢をでっちあげてそれらしくはしてるが、このところの選挙はパフォーマンス合戦であり、いちいち付き合うというのもアホらしいわけだ。さらに、どっちの党にも思惑の異なる人たちが入り乱れすぎなので、たやすく支持することもできない。与党には利権や宗教の影がちらつき、民主は旧経世会とも言える布陣に左派が合流した不思議政党(共通項は反米親中?)。昔の自民の派閥が二つの政党に分かれてやりあっている構図だ。いわゆる角福戦争というやつか。

となるとどっちがマシかという話になるし、じゃあ批判票というものはどこへ投じるべきか。いやどうせ死に票だし、そんなこと考えるのは捻くれ者なんだろう。しかしまあ、生活感のない話ではあるが、どこが勝とうが負けようが、結局は国民にとっての勝ち負けであるということは間違いないだろう。

そもそもの由来はこういうことらしい。で、今年は7/30が土用の丑の日ということなので、「中国産「うな重」、予約受け付け再開=「安全性確認」とサークルKサンクス」みたいなことになってるんだろうか。

日本国内でも混ぜもの食品が流行ってるんであまりよそ様のことも言えのだが、さすがに毒入りは困るので、レベルというか格の違いをまざまざと見せつけられる。ネットに出回る都市伝説的なものでは、うなぎ養殖場では人糞や行き倒れの死体を与えているなどというテキストを見たことがあって、さすがにそれはどうかと思うんだけど、もしかしたらと考えてしまうような状況かもしれない。

ふと、中国には原発はあるんだろうかとぐぐってみた。そうしたら「中国原発15~20倍に 2030年までに 100基超建設新目標」というように息巻いていらっしゃるようだった。そうなるとウランの分捕りあいとなって、カザフあたりが熱いことになっているようだ。ただ売ってくれというのではなく核関連の技術供与が目玉となっていて、この点では韓国は遅れをとったらしい。やはり日本の売りというか命運は技術ということなのだろう。

原発は既にあるわけで、安全に運用してくれないとえらいことだ。食い物に何が混ざってるとか、原発の中身がどうだとか、全然分かんないしね。いちいち気にしてたらまともに暮していけないから一定のルールがあるわけで。

ちなみに私はうなぎはあまり好きな食べ物ではなく、これだけ書いてきても縁がないわけだ。どうやら「う」のつく食べ物ならいいとのことなので、宇治金時でも食べようかね。

私はいちおうウェブとかの仕事をしていて、現在は自営業なんだけど、そうなった過程でも書いてみようかと思い、どう書いたらいいものか湯船に浸かって延々と考えていた。1時間くらいそうしていたら心配して親が様子を見に来た。そこで我に返り、やはり人様にお見せする内容にならないと感じたので、いくらか抽象的な方向性に変更。

もうちょっと世渡りがうまければいいんだろうけど、今の境遇になったのもなし崩し的な要因が大きいから、ひと儲けしてやるぜ!的な熱意に欠けているはずだ。会社に勤めていた理由やきっかけは「こういう業務をやっていきたいからうちに来てみないか」的なものだった。私としては利害が一致すれば問題ないのでその会社のお世話になるわけだが、いつのまにか会社の方向性が変わってしまったり、会社がおかしなことになったりするので、続けるかどうかを考えることになる。

私は一社員に過ぎないし、給料が支払われればいいけれど、その金額以上に報いようとする意思はあった。しかしそれ以上の望みはない。経営者の思い描くものへ近づけ、高める努力はできるかもしれないが、それに付き合っていこうという運命共同体的な気分は残念ながらあまりない。だから、この方向性はヤバいなと感じたり経営者と意見を違えるようなことがあれば、社員である資格はないと思い、別の道を考えた。小さい会社だとどうしようもない。

名を取るか実を取るかでいえば、名を取る・・という表現も違う気がするので、「実を捨てる」みたいなニュアンスが近いかもしれない。正直言って、あの判断はちょっとな・・という反省点も多いんだけどね。風呂で考えてたら大反省会になっていた。

自営業というのはシンプルで、たとえどんな仕事でも自分のために努力する。とりあえず今はこの道を進んでいるので、基本に立ち返って、やれるだけやってみようと思うのだった。しかしやはり世渡りがアレなので、儲かりそうなネタなど思いつかないのであった\(^o^)/